「なんてったってこごは天下の東海道だがら」と、故郷の山形弁の残った言葉で近所のSさんは高らかに笑った。「だげどもよ、何十年住んだって40年、50年だってまだ余所者だっつんだがら。」老人会の会長も務め、歴史の会の会長も務め、御年、繰り上げて百歳。
山形から集団就職でやってきて、技術者として日本各地を周り、会社のバレーボール部で鍛え上げたという健脚で日々ホイホイと坂道を登り、大声で話す。この高台にマイホームを構えたことを誇らしげに語ったあと、地元の自治体に長年貢献し続けていても、まだ「地の人」にはなれないのだと、少し声音を落とした。
東海道戸塚宿。
東海道線と、横須賀線、横浜市営地下鉄、近年では湘南新宿ラインも加わり、関東ぐるりとどこに行くにも便がいい。
何十年も遅々として進まなかった駅前の再開発もようやく終えて、人口は増え続け、マンションは立ち並び、外出が憚られる昨今でも人や車の往来が止むことはない。
有名企業の本社支社、工場の大きな入り口が方々にあり、かつて一斉を風靡した大企業が立ち退いたかと思うと、新たな時代の寵児がまた社を構える。
都内に電車で通う勤め人のための高層マンションと、全国各地からやってくる企業人、作業員など、車で移動する人々のためのコインパーキングとが同心円状に広がっている。
前へ前へ、先へ先へと濁流のように進んでいくこの街の時の流れの中で、ふと目を凝らし耳を澄ますと何百年も前から変わらず世代を継いでこの土地とともに生きてきた人々の息遣いと暮らしが見えることがある。
車の往来の激しい、大手チェーン店の立ち並ぶ旧東海道の歩道を、いい具合に錆のついた一輪車を押して歩く人がいる。泥の乾いた地下足袋に陽に褪せた帽子、少し膝が開いた拍子のついた歩き方は長年お百姓をやってきた証だろう。
白いシャツと濃色のスーツの直立歩行の人々の行き交う中で、その姿は一際目立つ。
その人は1号線からつと曲がり小道を入って進んでいく。
昔はこの一帯は谷戸田だったのだろう。つい数十年前までは家々の蛇口から井戸水が飲めたらしい。
高台には団地がそびえ、住宅地がまたあそこにも、あんなところにもと年々広がっている。
その谷間にポッカリと広がる大きな駐車場。その上の段々畑で、その一輪車は止まる。
そして日暮れ前にはまた、バス停に並ぶ人々を追い越し、東へ西へ向かう車に追い越されながら、大根や菜っ葉をてんこ盛りにのせた一輪車が悠々と来た道を戻っていく。
野菜をのせた一輪車を押して歩くのは近隣の大企業と住民へ、何十台分もの駐車場を貸している地主さんである。
その名字はこの辺りの鎌倉時代の言い伝えにも有力者として出てくるくらいだから由緒正しきこと間違いない。
谷戸の大駐車場は一族経営の駐車場である。
地下足袋の地主さんは今は少し離れたところにお住まいらしい。駐車場のすぐ目の前に立派な家があるのだけれど、表札があるまま長年誰も住んでいない。
駐車場を管理しているのは駐車場のすぐ隣にそれぞれ居を構えている地主さんの妹さんお2人で、新参者の私は地主さんとは言葉を交わしたことはないが、その妹さんとは顔見知りである。
ある時、その地主さんと妹さんが話しているのが聞こえてきた。
話の内容まではわからない。ただ驚いたのはその2人の話し言葉が「方言」だったことである。
抑揚のついた、強弱のある、紛れもない、あれは「方言」だった。
同じ戸塚の地の、知り合いのお百姓もあの話し方をしていた。
そしてそれはドキュメンタリー映画の中で見た、多摩地方のお百姓のものともよく似ていた。
故郷の福島から戸塚に移り住み、田舎者の代名詞のように扱われる東北弁をさも忘れたように標準語を話す私にとって、横浜でこの土地の「方言」に出会ったことは、衝撃だった。
薔薇の咲き乱れる白壁の邸宅に住んでいる地主さんの妹さんとは何度も話したことがある。ソプラノの綺麗な声で上品に滑らかにお話をされる。
それが、今日は違っていた。低音と高音の強弱のリズム、伸びのあるアクセント。身内同士の会話では「方言」でお話をされるのだ。あの話し方はお百姓だけのものではなくやはりこの地方の「方言」なのだ。
日本の道の至るところに同じチェーン店が立ち並んでいるように、日本全国同じテレビを同じ時間に見るように、均一化された服を着て、世界共通のファストフードを食べ、世界中で見られるシンボルマークの飲み物を片手に街を闊歩することが持てはやされる今。
その土地その土地の言葉、食べ物、文化、歴史があることはなんと豊かなことだろう。
「そりゃ土は大事だよ。この土に生かしてもらっているようなもんだから」とあるお百姓が言っているのを聞いた事がある。
土とは土地でもあると思う。自分の生まれた町。育った町。自分の暮らす町。街でも村でもいいのだけれど、土とのつながりを忘れてしまった時、人は迷子になるのではないか。
いや、迷子になっても生きてはいける。けれど、代わりとなる何かを探し続けるのではないか。それと気づかぬまでも。
目まぐるしい現代社会の中に時折、何百年も続いてきたおおらかな暮らしの名残を感じる時、何かパラレルワールドを垣間見たような、異世界への隠し戸を見つけたような冒険的な魅力を感じるのは、そこに宝探しの地図の暗号があるからだと思う。
飯島 聡子
横浜市戸塚区
2021/06/30
速渡様
コメントありがとうございます。
そうですね。暮らす土地、よく知っている土地だけでなく「新しい土地を訪ねるときも、足下に生と死を併せ持つ「地層」が存在しているイメージ」をするとより旅も広がりと深さが増しそうです。また旅の楽しみが増えました。
そして、訪れたことのない見知らぬ土地に対してさえもそのように「地層」を意識して見たとき、今の概念とは全く異なる世界地図が広がっていくかもしれないですね。
貴重なご指摘ありがとうございます。