2016年9月に信州の野尻湖、戸隠、安曇野を巡ってきた旅についてお届けしています。その2回目、戸隠神社を訪ねたときのレポートです。
午前中に野尻湖を離れ、黒姫山を回り込むように道を進みながら戸隠神社へ向かった。車窓から入ってくる風が心地よく、日差しも穏やかな光を注いでいてくれた。それでも道の両側に広がる木々は、ところどころにほんのり朱や黄に色を変え、秋の訪れを予感させる。秋が来れば、追いかけるようにやってくるのが信州の冬だろう。やがてこの辺り一帯は雪に覆われる。そう考えると、まだ緑色を残した多くの木々たちももう冬支度を整え始めているのかもしれない。当然ながら彼らはこの土地の風土に詳しい。今年の冬はいつごろ来るのかも知っているだろう。私は新参者で何も知らない。道をしばらく進むと、突然、戸隠神社の奥社が現れた。これには驚いた。里宮に気づかないで通り抜けてしまったのだろうか。
「いや、そんなはずはない」
自分は一体今どこにいるのだろうか。自分の中にある方位磁針が右にも左にもクルクル回り出した。しかし何時まで経っても私の針は一つの方向を示してはくれなかった。車を降りて後ろを振り返ると、先ほどまで日差しを差し込んでくれた空はもうネズミ色の厚い雲に覆われている。樹木を吹き抜ける風はひんやりとしてきた。辿って来た道を振り返ると、下から自分を覆い隠すかのように霧が立ち込め、近づいてくる。狐にでもつままれたのだろうか。車のサイドミラーを覗き込むと、さして特徴もないいつもの自分の顔が映し出されている。突然、顔の後ろに何か黒い影が通ったのが見えた。後ろを振り返ると、霧はいままさに自分を飲み込むところまで近づいてきている。霧の中から何者かが自分を見つめているような気がする...
突然書き口がミステリー小説風に変わってしまった。戸隠について書いているのだから無理も無い。それにしてもかなり話を膨らませ大げさな表現になってしまったが、実際に自分がどこにいるのだろうかと疑ってしまったのは事実だ。
よくよく落ち着いて考えてみると、何てことはない。野尻湖から戸隠に向かうと、戸隠の山の奥から里へ下りていくように道は続いている。そう考えれば奥社から出会うのは当たり前なのだが、一般的に神社をお参りすると思うと里宮から奥宮へ、階段を下から上へと徐々に登っていく感覚を抱くが普通だろう。だから突然、奥社の姿を見たときに戸惑ってしまったのだ。今から考えると恥ずかしいのだが。
奥社の入り口にある鳥居の前を通り抜け、中社に着く。戸隠神社は、中社、奥社、宝光社の三つの社からなるという。明治に入り神仏が分けられる前は、中院、奥院、宝光院と名乗った。つまり、もともとは寺であったわけだ。中社のそばにあるそば屋で(つまらない駄洒落になってしまった)昼食をすませ、再び野尻湖に戻るような道筋をたどり、奥社に着く。そして参道を歩き始めた。日差しは依然として心地よく降り注ぎ、参道には樹木や葉っぱの影が折り重なり様々な模様を描き出していた。私の下手なミステリー小説風のシーンとは異なり、この日は一日中天気に恵まれた。
戸隠神社の奥社には何の前知識も入れないで訪れた。古事記にゆかりのある手力男を祀る社だということぐらいしか知らない。奥社の参道は延々と続く。「まだ続くの〜」と一度ならず、二度、三度と繰り返すぐらい長い。あなただったら、5回ぐらい繰り返すかもしれない。途中、雨に降られたら、「ちょっと傘を取りに戻るよ」というわけにはいかないほど長い参道なのだ。そんな長い参道をあなたは想像できるだろうか。これは後で聞いた話だが奥社に着く前に途中で折り返し、帰ってしまう人もいるそうだ。
参道の入り口にある鳥居から奥社までのちょうど中間地点に、隋神門がある。ここを抜けるとあたりの雰囲気がガラリと変わる。道行く人を杉並木が覆いかぶさるように迎える。この杉並木を抜け、しばらくすると階段が見えてくる。この階段までくれば、奥社に着いたも同然だ。案内標識によると、入り口から隋神門までが20分、そこから奥社までが20分ということだ。写真を撮りながらゆっくり歩いたせいか、実際にはもうちょっと時間がかかったような気がする。
奥社に着くと、背後に戸隠山がよく見えた。この奥社は戸隠山を拝み、祀ることがこの写真からも容易に想像出来る。また、ここが山岳信仰の聖地であり、修行場であったことも納得出来る。ああいう山の頂きを見ると山に登ってみたいという人がいると思うが(実際に登山道はある)、私は御免こうむりたいタイプの人間だ。仕事以外で山に登ることは滅多に無い。
しかし実際のところ、私が鳥居に戻ってきた時点では(この世に戻ってきた時点では)、そんなことは何も考えず、ただ「やっと戻ってきた〜。疲れた〜。おお、ちょうどいいところのお茶屋さんがあるぞ。何かアイスを食べたくなってきたな〜」と言って抹茶アイスを食べただけだった。私がたどり着いたのは鳥居近くのお茶屋さんだった。抹茶アイス、おいひ〜。