都会の文系大学に通った私が、農法を覚えて帰ってくるなんて誰が想像できただろう。
今日、私は畑仕事を始めた。種を植えるその日に向けて、ひとまず畑を耕した。鍬を使って土を柔らかくした。こんなに小さな畑を耕しただけなのに、腕や背中が痛くなった。それだけしかやってないのに何を言ってるんだと言われてしまいそうだが、運動不足すぎる私には大変な作業だった。ただ、自然農では、畑を耕すのは始めの1回だけだと言うので、ラッキーと思いつつ作業を終えた。
土を休ませたら今度は畝をつくる。ここに3つの畝をつくる予定だ。3分の1はマルチで覆い肥料も加える予定なので、純粋な自然農ではないけれど、どんな畑になるのか楽しみながら作業していきたい。
また、海無し県の長野の庭に何故か貝殻があるので不思議に思って家族に聞いてみると、カタツムリの抜け殻だよと教えてくれた。確かに昔大きなカタツムリを飼ったことを思い出した。まだまだ春は訪れたばかりで生き物たちも少ないように見えるけれど、ちゃんといるんだなと実感することができた。虫たちはどうやって冬を乗り越えているんだろう。昔は家の近くにある川の生き物にしか興味がなかったけれど、これからは陸にいる生き物にも興味を持っていきたいと思った。
話は変わるが、ここ最近、私は「手仕事」に関心を持つようになっている。手仕事に出逢った時には、1歩立ち止まりたいと思うようになった。何故か。
今、社会では人手が不足している。人手不足解消のために、様々な技術が生み出されている。その便利さを享受しながら私が生きていることも事実だ。だが、そうしてつくられた人手を必要としない社会は、人がいなくても成り立つ社会と言うことができないだろうか。その社会に人はいかにして立つことができるだろう。
いつか聞いた「面倒くさいはひと手間」という言葉を胸に、手仕事を行う意味を自分なりに考えて、ここでも一枚の畑をはじめる。