この日は2月8日(土)に行われる「土曜日の会」の準備をした。
まずは文旦と柚子の販売価格を決めた。目の前にある三つの柚子。大きくて綺麗なもの、中くらいで傷のあるもの、さらに小さくて傷のあるもの、こうした柚子を前にして値段を考えた。
「お店で買うとしたらどれを買うか」と聞かれ、私は大きい柚子を指さした。なぜなら、大きいから。しかし、仲間の中には「小さいもの」と答えた人もいる。理由は小さい方が味が詰まっていて美味しい気がするからだ。
確かに、と思った。小さくても傷があっても虫に食われていても、それは自然なことで味に変わりは無い。むしろそっちの方が美味しいことさえある。
考えれば考えるほど、誰がどの視点で正しい価値を決めれば良いのか分からなくなった。
もう一つ悪戦苦闘したのは「一枚の畑から」の活動を紹介するポストカードの文章を考えたことだ。「一枚の畑から」では何を行っていて、それにはどんな意味があるのだろう。この日集まった3人で言葉をすり合わせたのだが、自分が考えた文章を他の人が読むと意図しないニュアンスで伝わってしまうことがあると分かった。人に何かを伝えるときに慎重に言葉を選んでいるつもりではあるが、それでもその言葉の受け止め方は相手次第である。言った方も言われた方も同じ感覚を共有できる「共通語」を見つけ出すのは難しい。同年代の3人でも難しいのに、さらに年齢や背景が違う人と見つけて行くのはきっともっと難しい。でも「一緒に見つけ出す」が出来るのが「対話」なのだとわかってきた。
帰る前に、一枚の畑にある柑橘を収穫させて貰った。文旦の樹を下から見ると、宇宙に惑星が浮かんでるように見える。
「一番大きいのはどれだろう?」
そう考えて、探して、見つけて、はさみで切った。手に持った瞬間気がついた。
また大きいの選んじゃった!!!!
反射的に大きくて綺麗な作物を探していた。慣れって怖い!!
仲間は小さなこぶが付いた文旦を採って「ニキビ文旦」と言って楽しそうだった。これからは、採るときにも買うときにも一呼吸置いて、これまでとは違った視点で選んでいけたらいいと思う。
結葉
千代田区
2025/02/14
由井さん、コメントをいただきありがとうございます。
「一枚の畑×諏訪の寒天」で文旦寒天ゼリーができあがりました。
つぶつぶした食感と文旦の爽やかな酸味、少し苦みもあって美味しかったです!