アンジュからの帰り道、私は友人と二人、梶が谷駅を目指して歩いていました。
西梶ケ谷小学校を過ぎた辺りでスマホのマップを見ると、梶ケ谷第一公園を突っ切れば近道だということが分かりました。私にとっては初めて歩く土地なので、この公園が向こうの道とつながっているのかどうかも分かりませんでしたが、公園を歩く方が楽しそうだったので、こちらを進むことにしました。
その公園は、土がむき出しの公園でした。
前日は雨。ところどころぬかるんでいる地面。そして私が履いていたのは、母から貰った真っ白いデニムです。
失敗した、と思いました。絶対汚す、このズボン、と。
私は泥はねしないように足の置き場に注意を払いながら慎重に歩き、何とか公園を通り抜けることが出来ました。
ズボンを汚さずに済んでほっとすると同時に、少しの違和感。
しかし、電車に乗らなければ家には帰れないので、また歩き出しました。
家に着いて、もう一度ズボンを見て、泥が付いていないことを確認して、ほっとして、今度は公園で感じた違和感も思い出して、考えました。今日撮った写真を見返して、メモを加えた資料を読み返して、そして田中優子さんのお話を思い出して。
じわじわと違和感の正体に気づいてきました。
私は、江戸の人とは違う、ということ。
もし私が江戸の人であれば、衣服が汚れることにこんなにも神経を使わなかったと思うのです。もちろんそれはものを粗末に扱うということではありません。江戸の人も1着1着を大切に着ていたことでしょう。江戸時代、道がコンクリートで舗装されていなかった時代、衣服に泥が付くなんて当たり前の時代。彼らは、たとえ着物が汚れたとしても、ほつれたとしても、それにうろたえず、受け入れ、1枚の布が灰になり、畑になるまで使い倒していた。
呉服屋で着物を買い、洗い張り、仕立て直し、染め直し、つづれ縫い、これらを繰り返し、古着屋へ、そして着物として扱えなくなったら、ふとんの皮、風呂敷、袋物、壊れ物のクッション、そして灰となり、畑になり、一部がまたお蚕様や人に取り込まれる。
あらゆるものを自然界から人間界に取り込む技術。
あらゆるものを人間界から自然界に還す暮らし方。
壊れることが前提の着物。
壊れることへの寛容さ。
高度経済成長によって失ったものとは何か。
私も考え続けたいです。
結葉