地域 長野県岡谷市

春蚕が繭をつくるまで

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風景・地形

令和(2019〜)

養蚕

明治、大正、昭和初めにかけて製糸産業隆盛の頃、民家で営まれていた養蚕文化を後世に残すために活動している人たちがいる。
大切な蚕がきれいな繭をつくるまで、無農薬で桑木を育て、桑葉をあたえ、蚕の糞尿を掃除し脱皮を促し、蔟(まぶし)という格子状の枠において営繭(えいけん)を促す。6月初旬、4万頭3️齢の蚕が養蚕施設にやってくる。体調は10ミリ。この頃は桑の葉だけを包丁で小さく刻んで食べやすくさせる。蚕は高い方へ上がる習性があるため、彼らの上に網を掛け給桑する。上りきったところで網ごと移動することで、食べ終わった桑の枝、脱皮の皮や糞尿を片付けることができる。繭になる5齢まで2回ほどこの作業を行いながら、体の大きさに比例して飼う場所を広げてゆく。5齢になると蚕の体はちょうど大人の小指くらいの太さに成長し、桑を食べる量が格段に増える。彼らが桑葉をかじる音が、優しい雨音のように聞こえるところから「蚕時雨(こしぐれ)」と呼ぶ。
彼らがここに来て20日程経過しただろうか、桑の葉を食べず、白い体の半分に黄色みがさしはじめる。体を立てて頭を振るような動作をはじめると繭を作りたいという意思表示となる。この動作が目立ち始めると「上蔟(じょうぞく)」作業となる。
回転蔟(まぶし)という、碁盤目状の枠を中央で固定した装置の中に蚕を入れる。上に上がる習性から上部の部屋が埋まってくると、その重みで蔟が回転し、まだ空いている場所が上になるため、そこを目指して蚕が移動しまんべんなく繭が作られる構造に、人々の知恵が垣間見える。
蚕は、繭をつくる場所を決めると足場用に適した糸で場所を作り、その後繭用の糸で自身の周囲を覆ってゆく。この過程で5齢の体は、糞や尿を大量に放出し繭の中に収まるサイズに縮小するのも神秘的に見える。
少しづつ、そして静かに彼らの姿は見えなくなってゆく。
 

写真

3月の桑園
秋用と春用で枝の剪定箇所を変えて育てている。
3齢の蚕
約10ミリ。生まれた時は2ミリほどというから、蚕は5齢までに1万倍に成長するとのこと。
4万頭の様子
湿気や病気に注意しながら1万頭づつ育て始める
食べ休め
時々停止しているのは食べ休めとのこと。
桑だけ食べ続ける
頭部にある器官で桑かどうかを瞬時に見分けて食べる。桑の樹液が更に食を増進させる。
脱走兵
基本的に蚕は食べるものがなくなるとじっとする習性があるが、時々食べ物を探しに脱走するものもいる。
成長に合わせて飼場面積を広く
4齢の頃には、部屋全体に飼場を広げていく。
脱皮中の蚕
体の半分を脱皮した蚕がいた。
石灰で脱皮を助ける
石灰を撒くと蚕の体が乾燥して脱皮しやすくなるとのこと。
5齢の頃の蚕
体の膨らみが増し食べる量も増える。
回転蔟の風景
一度地面において蚕を入れ、蔟を上り始めたところでこのように吊るしてゆく。
営繭(えいけん)中の蚕1
いつの間にか、体が小さくなっていることに気がつく。
営繭(えいけん)中の蚕2
成分の違う糸を使い分けて、足場と繭を作ってゆく。
営繭(えいけん)中の蚕3
小刻みに頭を振りながら繭の内側を形作る。
営繭(えいけん)中の蚕4
糸を吐く。というよりは糸の先端を対象に接着させ体を振って、体内の糸を引き出しているとのこと。
2024/07/01

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コメント(4件)

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