先日、長野県岡谷市のライフプラザマリオにて、マリオ四季五感『うつし世の静寂に』上映会と、由井英監督・小倉美惠子さんを囲む会がありました。
初めて観る映画。タイトルからどんな内容なのか想像してみるも想像力が及ばず、ただどこかほんわりと美しい映画なのではないか…そんな印象だけを胸に参加しました。
内容は、川崎市宮前区を舞台に、人から人へ受け継がれてきてた「講」について深く掘り下げ、考察しているものでした。日本の風土、地域、信仰、祈り、そして日本人の在り方、自然との向き合い方…改めて素晴らしいなと感じました。同時に、現代は何か大切なものを忘れかけているのではないか?今の暮らしは、本当にこれでいいのか?幸せの方向に向かっているのか?そんな風に、優しく投げかけてくるような、少し立ち止まって考えたくなりました。
「講」は、どこか他人事のように感じるくらい、私には馴染みがなく、一体私の人生のどこで置いてきぼりにしてしまったんだろう。「講」に触れる機会はあったのだろうか。個人的な問いも生まれてきました。
親が転勤族だったこともあってか「講」をしている姿を見たことも参加したこともありません。両親は共働きをし、一生懸命働いて私や姉を育ててくれて、やはり近代化の波、経済優先の社会の中で生き抜いてきた人たちなんだと思います。
(それはそれできっと親なりの幸せであり、私もその恩恵をたくさん受け、大切に育ててくれたと思っています。)
ただ故に、映画にあるような地域の共同体としての繋がりや、風土に根付いた暮らし、故郷の受け継がれてきた風景等…私にとっては、こうした日本の古きよき姿は当たり前ではなく、どこか憧れや大切にしていきたい日本の風景として心にあるのかもしれません。
随分と昔の日本のならわしのように感じましたが、そんな中、会場からまだ「講」を続けているという方の貴重なお話しも聞けました。決して遠い昔ではなく、今現在にリンクしていることなのだと知り、まだまだその糸口が残っているとも感じました。先細りになってしまったその糸をプツンと切らずに、どうにか時代と共に変化しながら繋いでいってほしいなと感じます。
田植えのシーンも印象的でした。
現代の私たちは、便利さやラクすること、いかに早くゴールに着くかへの追及に気をとられ、自然の声に耳を澄ませたり、時間をかけたり、一手間かけたり…「御天道様は見ている」みたいな感覚も忘れかけ、「講」をする時の掛軸を通して神様仏様もそこにいるといような、「目に見えないもの」に対しての想像力や畏怖の念も忘れかけている気がしてなりません。
次世代に何を繋げていくのか。
忘れているだけなら、思い出すことができる。この映画が思い出す「スイッチ」になり得るのではないかと。ぜひ若い方たちにも観ていただきたいなと思いました。
上映会の後は、マリオ料理長の摘み草料理をいただきました。旬の野草が色とりどり様々にアレンジされ、会場には青々と季節の華が飾られ、由井監督や小倉さんを囲み笑顔がこぼれる一時。
美味しいお食事に、人と人とのつながり、心の充電が満タンになった上映会となりました。