首都圏還暦
「あこがれ」と「うしろめたさ」の間で
ゲスト:田中優子|法政大学名誉教授・江戸東京研究センター特任教授
今年は戦後日本のターニングポイントとされる1964年の東京オリンピックからちょうど60年。この間、ひたすらに経済発展を基軸として「あこがれ」を実現し、恩恵も受けてきました。反面「何か置き忘れてきたのではないか」、若い世代も「自分たちは何かを犠牲にしているのではないか」という「うしろめたさ」を抱えるようになっています。その「うしろめたさ」はどこから来るのか。
古来に倣い60年の節目を「首都圏還暦」と呼んでみると、異なる風景が見えてくるかもしれません。巡る暦の中にあった「江戸」の知恵を田中優子さんとひもときながら、「この地域のこれから」について考えたいと思います。(⼩倉)
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井村 俊義
駒ヶ根市
2024/07/09
お二人の興味深い話をお聞きして、自分の体験もそこに重ね合わせてみたくなりました。
私の両親は、「地方」(諏訪と沼津)から意気揚々と「上京」し、そこで出会い、就職し、結婚し、子ども(私)をもうけた。当時は「いい大学に進学すれば一生安泰!」と考える人々がたくさんいて、私もまた市内にある中学ではなく、中央線沿線にある中学を受験させられた。そもそも、多摩地方のニュータウンで育った私にとって、「喪失感」の意味さえもよくわからなかったが、このような経験を重ねて、喪失感は何重にも私を取り巻いているのか・・と今回、実感させられた。結局、その後、本の世界に逃げたり、アメリカに逃げたり、娯楽に逃げたりして、「帰るところのない私」は「逃げっぱなしの人生」を送ってきたのだと思う。逃げた先の「本」や「アメリカ」は、その後、私の食い扶持になったので、後悔はしていない。しかし、それは運がよかっただけだろう。社宅を備えた、終身雇用の会社という「長屋」も、もはや存在しない時代。還暦を迎えた私にとって、ヴァナキュラーから切り離された人々を受けとめてくれるコミュニティのありがたさを、日増しに感じているところである。