地域 奈良県奈良市

春日若宮 おんまつり

2pt

宗教・信仰・慣習

平安(794年〜1185年)

奈良の春日大社の「おんまつり」は平安末期に始まり、当時の芸能をそっくりそのまま継承しながら888年間も続いてきた大変珍しいお祭りです。京都と違って奈良は大きな戦乱(応仁の乱)に巻き込まれることがなかったため、平安をそのまま残した不思議なタイムカプセルのようなお祭りが残りました。(京都はほとんどの行事が応仁の乱で一回途絶え、古い形のまま残っているものは少ないのです)本の写真は、本田健一氏のもので「12世紀の祇園会絵巻と現在の若宮御祭りの相似」検証です。祇園会というのは現在の祇園祭ですが、祇園祭りは進化を重ね違う形になっていきました。

「おんまつり」はまた、真夜中、真っ暗な春日大社参道を、神様が移動されるという神事のあるお祭りです。通常のお祭りでは、神様の移動は神輿を使いますが、春日大社では人垣を作り、神様は人垣と共に移動されます。知る人ぞ知る神事ですが、見学された方は皆さん「神様を感じた」と大感激されています。私は、今回、この神事に、見学のみならず参加させてもらいました。

 

春日大社には神様のお使いの鹿たちが居ます。1300年ほど前に、平城京のお守りとして創建された際、常陸の国の鹿島神宮から、大変強い神様をお招きしました。その神様が鹿に乗って来られたと伝わっているからです。

また、神社境内に藤の木、巫女さんたちも全員が頭に藤のかんざし、神紋も「しだれ藤」。平城京の守りとして創建され、後すぐ藤原氏(藤)の氏神となったためです。

若宮様は1003年、この地で誕生されました。

 

春日大社の隣に興福寺というお寺があります。(メランコリーな阿修羅の居る所)同じく藤原氏の氏寺です。今は別々なのですが、明治以前は神仏習合なので、春日大社と興福寺は1体と考えられていました。(お寺と神社で1セット)春日大社には古くから「春日祭」という春のお祭りがあります。(今でもあります)これは藤原氏しか参加できないお祭りで、興福寺は完全に蚊帳の外でした。そこで、興福寺は「春日大社に秋の大掛かりなお祭りをさせて、大和国中に興福寺の力を誇示しよう。」と考え、実行しました。こうして、「おんまつり」は、興福寺が中心となって作られました。

 

夜中に若宮様(神様)が、自分のお家を出られて1キロ先の御旅所という急遽作られた仮のお家に行かれます。御旅所(写真あり)は松の葉付きのジブリアニメに出てきそうな可愛らしいお家です。

翌日のお昼くらいから、平安装束の人たち(日の使い)を先頭に総勢1000人、馬50頭の大行列が若宮様にご挨拶をするため、御旅所を訪れます。(子供大名行列の動画は、この一部です)若宮様も「お子様」なので、稚児のお祭りということで子供が活躍します。「おんまつり」に参加する子供確保のため、17日は奈良の学校が全て休みになります。 

夕方から、若宮様に向けて芸能奉納が始まります。

神楽、田楽、猿楽、東遊び、細男、舞楽・・・全ては「おんまつり」が始まった1136年当時、平安京で最新だった芸能です。それを、そっくりそのまま奈良に移した所、現在に至るまで継承されてきました。ここでしか見られないものもあります。

例えば、白い服の人たちが顔を隠して前かがみになって踊っている写真、これは細男(せいのう)と呼ばれる大変珍しい芸能です。「海の神が神功皇后の神楽に誘い出されて踊る。顔に貝がついているので白い布で隠している」と言う故事が残っていますが、詳細不明です。細男は特別な血筋でないと舞うことを許されないそうです。顔を隠して、独特のステップ。何らかの呪術的なものだったかも知れません。

赤の服で仮面の写真は舞楽です。舞楽は中国、朝鮮半島から伝わった芸能で、中国からのは左舞と呼ばれ赤、朝鮮からのは右舞で緑の衣装。直接伝えたのは、中国や朝鮮半島ですが、起源は中央アジアだと言われています。でも、もうこの芸能は世界のどこにも残っていません。あるのはここ日本だけ。こういうものを、何代にも渡って大切に大切に伝えてきた、そのまじめさに、むしろ気高さと威厳を感じました。

その日の真夜中、芸能の見学を終えた若宮様はお家に帰られます。

写真

春日のおんまつりと12世紀の祇園会の相似
若宮様の御旅所
若宮 細男
若宮 舞楽
2023/12/30

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