私記

農民の手

生業・仕事

ある、社会的地位を持つ方とお酒をご一緒する機会があり、隣席となった。

 

中背よりもやや上か、それともすっと伸びた背筋のせいで背が高く見えるのか、ボタンダウンのシャツを来てトラッドスタイルを着こなし、颯爽と歩く。眉間に皺、口はへの字に近い。まっすぐ前を見据えて、言葉数は少ない。ちょっと近寄り難い雰囲気さえある。
ただ、誠実で嘘のない方のように感じた。雑多に動く事象を遠くからそっと見守るような気配がある。


カジュアルなイタリアンレストランで、ワイワイと程よくお酒も進み、確か、ナッツでも、と、最後に頼んだ時だったと思う。

各テーブルの中央に山盛りに来たものを、ちょっと席の遠いその方に取り分けようかと小皿を探した。

いや、構わないよ、というような事を仰って、手を伸ばして取られたナッツを、テーブルに、そのまま置かれたのである。
ペーパーナフキンでも、と思ったがそれも、遠慮された気がする。

そしてそのナッツをいくつかずつ、より分けて口に運ばれた。


私は内心驚いた。表情には出さなかったはずだが、自分の描いていた都会的な、権威のあるその方のイメージと、一見粗野にも見えるその行動が一致しなかった。

そして、決して悪い意味ではなく、もしかしたら田舎のご出身なのかもしれないな、と思ったのだった。

 

何年かして、ご縁があり、またお酒の席で隣席することとなった。

 

ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
話も少しほぐれた辺りで、遠慮がちにお尋ねした。少し訛もあるようなお話しぶりで、もしかしたら、同じ東北か、または、同じく方言の強い九州のご出身ではないかと密かに考えていた。

伺った県名は全く的外れの地域で、むしろ賑やかな大都市をいくつも抱える工業県だった。

 

とにかくも話はあちこちと広がり、農業のこととなった。流行もあるのか、身をおいている環境のせいか、周辺には農に関心のある人が多い。プランターやガーデンで行う家庭菜園ではあきたらず、個々に畑を借りたり、週末に田んぼに携わっていたりする。私もコロナ禍中はプランターでの野菜栽培に手を出したものの成果は芳しくなく、農家の方の偉大さを改めて知り、餅は餅屋、と諦めていたが、ちょうどその日は週末だけの田んぼのグループに参加して鍬をふるってきたばかりだった。

そんな周囲の話に、他の方が〇〇さんの実家は農家だったよね、と、私の隣に座る方に話しかけた。
ええ、そうですよ。とその方は答えた。

なるほど、やはり、と納得した。
あのときの、ナッツをテーブルに直に置いた仕草を思い出した。
粗野、というわけではない。食べ物の生まれる時をつぶさに見つめて、共に過ごしてきた人の、食べ物に対する親しさがあった。
食べ物は皿の上にある状態が当たり前という、そういう感覚から来る扱い方とは異なる扱い方だった。その人はまるで幼子をあやすように、あの時、豆をより分けていた。

 

農はやらないんですか?と誰かが聞いた。


僕はやりたいと思わないね。もう一生分やりましたよ。
そんなにやったんですか?
そうですね、子どものころから何でもやらされたから。と、視線を少し落として答えられた。
それでももっと歳をとったら、やりたいとはまた思わないでしょうか?と私が聞いた。
やらないと思いますね。
何か重大な決意のようにお答えになった。
物好きですよね、みなさん。と続けたその方に、何かがわかったような気になって、私は、娯楽なんですよね、と、答えた。

 

週末数時間の農作業やプランター栽培はあくまでもリクリエーションであり、生業ではない。農業を生業とすることの厳しさを田舎育ちの私は少しは想像できるような気がした。
百姓とは百のなりわいをする者のことだという。
植物や昆虫や、土壌の微生物、天候や動物の動向を五感のみならず第六感までを働かせて、察知しなければ、作物を立派に育てることはできない。どこまで人為を尽くしても、それでもコントロールすることなど不可能な、自然相手の仕事だ。とても生半可な気持ちで真似できるものではない。

それでも土とのつながりが恋しくなり、現代人はときに自ら農に向かう。

 

先日は初めて田植えを経験した。
田んぼの中にいると、時間の密度が濃厚で、たった数時間過ごしただけで大層リフレッシュする。土の中の何十、何百、何千という微生物達の生命の渦巻に、泥の中に突っ込んだ手や足を通して私の身体も取り込まれ、1つの生命体としての力を取り戻して細胞が活性化するのかもしれない。

わずかばかりの農作業でさえ、古代から身体に刻まれていた記憶を呼び起こす。この身体も自然と一つであるという、母体に帰ったような感覚を。

 

素手で田植えをしたあとの手は、土の気配を宿して少したくましく、爪の隙間に入り込んだ細かい泥はなかなか取れなかった。それは私が土と親しくなった証のようで、室内の蛍光灯の下で人に見られるときは、少し恥ずかしくもあったが、同時に大きな味方を背後につけているような安らぎを感じさせるものだった。

 

もう農はやらないと仰ったその方の手も、角ばった短い爪の、指先のしっかりとした、節くれだった手だった。

 

それは、いのちを生み出す農民の手であった。
 

写真

2023/05/31 (最終更新:2023/06/01)

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