小正月(1月15日)の神事の多くは、月の満ち欠けをもとにした旧暦の頃の名残という。年の神(稲霊・穀霊)に対するもので、綱引き・年木(かゆかき棒)・左義長(さぎちょう)・餅粥などいずれも神を迎える意味を持ち、年の神の復活・再生、つまり豊作を祈るものであったという。(※1)
諏訪大社下社春宮。
砥川のせせらぎの音が境内に響き渡る午前5時。前日から筒粥殿で煮込まれ続けていた葦束を取り上げ、神前に捧げ、宮司の見守る中、権宮司が葦筒を解き、取り上げ小豆の詰まり具合を判定します。葦束は44本あり、そのうち43本は「うぐいすな」・「桑」・「小麦」など穀物や野菜が決められており最後の1本は「世の中」の景気占いとなっているため、44本全てを判定するのに1時間くらい掛かるだろうか。その間すべての神職や集まった人々はじっとその様子を静かに見守っています。ここでも、砥川の水を流れる音が神楽や警蹕のようにこの場所のすべてを包み込んでいるように感じます。
判定の終わった権宮司は、筒粥占いの表を使い境内に向かって読み上げます。この表はあとで社務所でいただくことができましたが、昔は権宮司が読み上げる内容を書き留めていたとのことです。また筒粥神事は今は下社のみですが、以前は上社でも行われており筒粥殿跡が残っており、中世では「十五日筒粥・参御室御神事」として前宮の御室(みむろ)の中で行う神事だったようです(※2)
今や一部神社で行われているこの神事も、本来は村落や一族の本家でも行われていた1年の吉凶を占う年占であったといいます。また、筒粥神事の形も地域によって様々な様式があるようです。
※1・2 参考資料 諏訪大社の御柱と年中行事(著:宮坂光昭)
kasai yuichi
岡谷市
2023/05/08
ご感想ありがとうございます。
>筒粥の目録も地元の人たちがそのように使っていたことはあるのでしょうか。
はい、そのように使っていたと思われます。少し調べた所では、目録が配布されるようになる以前は、農耕や養蚕に従事する方々が集まり、その神事中には占い結果を、その場で集まった人たちに目録に記載1つ1つを読み上げていき、人々は聞きたい作物の部分だけ聞いて帰ったようです。
>無事に暮らしていきたいという庶民の素朴な願い
これは僅かでも信仰を学んだ身として素直に感じる部分です。といいますか、科学が発達した現在は自然の驚異や不幸を排除することに重きが置かれていますが、昔(をいつの時代と定義していいかわかりませんが)は、営みの中で必ず起こる畏敬の一つとして、そして驚異としてではなく戒め(排除できない人生の一部)として捉えていたように感じてしまいます。
このことは、現在を生きる自分にとって生き続けるうえでの一つのヒントになっています。