2022年7月上旬、函館市の北西に位置する上ノ国町(かみのくにちょう)に行きました。
目的は、29回目(毎年開催)の「コシャマイン慰霊祭」というアイヌ式の祈りの儀式への参加。
その祭司の結城幸司さんと親しい知人に誘われての旅でした。
(※結城幸司さんは、木版画・木彫・語り・ステージパフォーマンスなどを手掛けるアーティスト)
その儀式が終わった帰り道、ふと北海道南部に円空仏が点在することを思い出しました。
道の駅の観光案内に尋ねてみると、車で5分かからない“旧笹浪家住宅”という場所で、円空仏を公開しているとのこと。
日本海を左手に見ながら、ワクワクしながらの運転。
いざ旧笹浪家住宅に着き、敷地内の土蔵のなかにある円空仏と、ついに対面……
お、大きい!!
二体の円空仏が迎えてくれました。
一体は、十一面観音菩薩立像(像高122.5cm+台座高27.4cm)。
北海道で唯一の十一面観音で、北海道で一番大きいとのこと。
もう一体は、観音菩薩坐像(像高23.5cm+台座高16cm)。
東北地方を訪れたあと、下北半島を経由して寛文6(1666)年に北海道に渡り、各地に仏像を彫り残した円空。
北海道では40数体が確認されています。
上ノ国町の円空仏展の冊子によると、十一面観音は「文禄3年(1595)創立の山神社に祀られる。明治初期の神仏分離の時、棄却の運命に遭ったが長谷川喜平太がこれを隠して難を逃れ、“きへだの観音様”と言い伝えられていた」とのこと。
また坐像の方は、「山神社に安置の頃は、子どもたちが縄をかけて引っ張って歩いたり、海浜に運んだりして遊びに興じていた」ようです。
こうした信仰のあり方、関わり方が興味深いと感じました。
私は2018年に岐阜県高山市の千光寺、2021年に伊達市(室蘭市の西隣)の有珠善光寺所蔵の円空仏を見たことはありました。
その二箇所とも、円空仏の由緒の説明はありましたが、そこに生きた人びととの関わりについては、ほとんど言及されていなかった気がします。
しかし上ノ国町では、円空仏とその周りに生きた人びとの息遣いが伝わってくるようなエピソードと出会うことができました。
元々、この二体の円空仏は上ノ国観音堂に安置されていたそうです。
これまで大切に守ってこられた観音講の会員の高齢化により、管理が困難となり、2021年に上ノ国町へ寄贈されたとのこと。
笹浪家住宅の職員さんから伺ったことですが、その観音講の方が、展示期間中に久しぶりに円空仏を見て「なんだか痩せたねぇ。いろんな人に見られているからかしら……」とおっしゃっていたそうです。
時を経てもなお、上ノ国町の人びとにとって身近な存在であった円空仏。
常時公開はしていないそうで、次回また機会があれば拝みたいです。
ちなみに私は、二体の円空仏のエピソードに触発されて、上ノ国町と円空仏をテーマにした児童文学の物語を書きはじめています。
「変わりゆく時代に、守りたいものは何か」という命題は、昨今の世の中にも通ずるものがあるのでは――と感じています。
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参考資料:上ノ国町教育委員会 文化財グループ『上ノ国町特別展「大円空仏展」』 2022年
速渡 普土
札幌市白石区
2023/01/31
由井さん、コメントをくださりありがとうございます。
各地の円空仏を間近にご覧になったのは、とても貴重なご経験ですね!
「歓喜天」のことは知りませんでした。
ベートーベンの「苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ」という言葉を連想しますが、
円空が最期に表現したかったことは、苦楽や清濁を合わせのんだ“歓喜”だったのでしょうね。
私も北海道で暮らし、あちこち訪ねることで、円空さんの“思い”の一端に触れられたらと思っています。