宮城大学へ非常勤講師として通うようになって4年。仙台に来て講義を終え、帰京する前のちょっとした時間によく立ち寄るところがあります。新幹線の改札口側にあるカフェ「杜の香り」です。
最初にこのカフェに入ったのはいつのことだろうか、よく思い出せないのですが、
「サイフォンで入れるコーヒーか。悪くないな、久しぶりに飲んでみるか。」
と改札に入る前に立ち止まってお店に入った記憶があります。
初めて頼んだのが「欅」という名のコーヒー。私のコーヒーの好みはかなり偏りがあります。苦味やコクが十分に効きながら、後味がすっきりしていること。酸味は苦手です。味が薄いのや温いコーヒーは受け入れられません。「欅」はまさに私が望む味、そのものでした。しかも雪の降った翌日、強風が吹き晒す寒い日に飲むとさらに美味しく感じるだろうなという熱々のコーヒーです。
私のコーヒーの思い出に、切っても切れない存在としてサイフォンがあります。私にとってはサイフォンがコーヒーを最もよく語る象徴です。まだブラックのコーヒーが飲めない幼い頃のことです。そのころ暮らしていた家の台所の隅に木造りサイドボードありました。その中には茶色の小ぶりなコーヒーカップとソーサーが何組か棚に分けられて並べられており、その隣にサイフォンがありました。
サイフォンって、理科の実験に使う器具に見えませんか? コーヒーの作り方も実験そのものといった風情があります。アルコールに浸した紐に火を灯し、まん丸のガラスの中に張った水が沸騰すると、上の円筒状のガラスにお湯となって移動する。そこでコーヒーの粉と混じり合い、透き通った水が徐々に茶色く染まり始め、やがて焦茶色に変化し、しばらくすると下にスッと降りてくる。
当時、家族にはコーヒーを好んで飲む人はいなかったと思います。むしろ普段はみんなが緑茶を飲んでいました。外からお客さんが来ると、コーヒーを入れることがありました。もしかしたら当時は、コーヒーを作るということは何か特別な儀式のような趣もあったのかもしれません。特別な日に飲むのはコーヒーというような。子供ながらにお客さんが来ると、「理科の実験」が始まるので楽しみにしていました。
宮城大学の感性情報デザイン演習Ⅲの学生たちの中には、今年、短編映画制作に取り組んでいる人たちがいます。撮影をほぼ終え、今ごろ編集に取り掛かっていることでしょう。どのような作品が出来上がるのか楽しみに待ちたいと思っています。みんなの「コーヒーブレイク」になればいいなと書き始めましたが、コーヒーに纏わる自分の思い出話になってしまいました。ごめんなさい。編集も文章も思うようにいかないものです。
ところでコーヒーの表面に浮かぶ「杜」の文字、わかりますか。逆さになって反射しているのですが。わかりませんよね。いい写真だなと思ったのですが自己満足の世界ですね。